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第5章 フラグ管理の重要性

月曜日の朝。

いつものように美月が迎えに来て、いつものように通学路を歩く。

でも、どこか雰囲気が違う。

昨日のことが、お互いの間に見えない何かを作ってしまったような。

「あ、そうだ」

俺は鞄から美月のシャーペンを取り出す。

「これ、昨日忘れてった」

「あー! 探してた!」

美月が嬉しそうにシャーペンを受け取る。

「ありがとう、悠真」

「いや、忘れ物届けただけだし」

「でも、ちゃんと持ってきてくれて嬉しい」

美月の笑顔に、朝から心臓がドキドキする。

これって、ゲーム的に言えば「忘れ物イベント」でフラグが立った状態?

いや、違う。

現実にフラグなんてものはない。

あるのは、ただの出来事と、その積み重ねだけ。

教室に着くと、いつも通りそれぞれの席に着く。

でも今日は、なんとなく美月のことが気になって、チラチラと見てしまう。

美月も時々こっちを見ているような気がするけど、目が合う前にお互い視線を逸らしてしまう。

なんだこれ。

中学生かよ。

「おはよう、神崎くん」

隣の席の委員長が声をかけてくる。

「あ、おはよう」

「昨日の宿題、終わった?」

「ああ、なんとか」

「私、数学の最後の問題が分からなくて……」

委員長が困った顔で言う。

「見せようか?」

「いいの? 助かる!」

委員長が嬉しそうに俺のノートを覗き込む。

その瞬間、背中に視線を感じた。

振り返ると、美月がこっちを見ていた。

目が合う。

美月は慌てたように視線を逸らす。

なんだ?

「ありがとう、神崎くん!」

委員長がお礼を言って自分の席に戻っていく。

すると、休み時間になった途端、美月がやってきた。

「悠真、ちょっと」

「ん? どうした?」

「委員長と仲良いんだね」

「別に、普通だよ」

「ふーん」

美月の反応がいつもと違う。

なんというか、ちょっと不機嫌?

「なんか怒ってる?」

「怒ってない」

「いや、明らかに——」

「怒ってないって言ってるでしょ」

プイッとそっぽを向く美月。

これは……まさか。

嫉妬?

いやいや、そんなわけない。

美月が俺に嫉妬する理由なんて——

「あのさ、美月」

「なに?」

「別に委員長とは何もないよ」

「……知ってる」

「じゃあなんで」

「別に」

美月はそう言って、自分の席に戻ってしまった。

なんだったんだ、今の。

ゲームなら、ここで『美月の好感度が下がりました』とか表示されるところか?

いや、むしろ嫉妬イベントで好感度アップ?

分からない。

現実の女心は複雑すぎる。

昼休み。

いつもなら美月と一緒に昼飯を食べるんだけど、今日は美月が友達と食べに行ってしまった。

一人で弁当を食べていると、ふと思う。

これって、俺が悪いのか?

でも、何が悪かったんだ?

委員長に宿題を見せただけじゃないか。

「はあ……」

ため息をついていると、誰かが近づいてきた。

「一人?」

顔を上げると、クラスメイトの田中が立っていた。

「ああ」

「珍しいね。いつも白河さんと一緒なのに」

「まあ、たまには」

「ケンカでもした?」

「してない……と思う」

「思う?」

「いや、なんか機嫌悪くて」

田中が苦笑する。

「女心は難しいよな」

「本当に」

「でもさ」

田中が続ける。

「白河さん、神崎のこと好きなんじゃない?」

「は!?」

思わず大きな声が出てしまった。

「だってさ、いつも一緒にいるし」

「それは幼馴染だから」

「でも、他の男子と話してる時と、神崎と話してる時じゃ表情が違うよ」

「そ、そうか?」

「気づいてなかったの?」

田中が呆れたように言う。

「お前、鈍感すぎ」

「うるさい」

でも、田中の言葉が頭から離れない。

美月が、俺のことを?

まさか。

ありえない。

……ありえなくはない?

放課後。

美月はまだ不機嫌なままだった。

「美月、一緒に帰ろう」

「……今日は委員会があるから」

「そうか」

でも、今日は委員会がない日のはずだ。

明らかに避けられている。

「なあ、美月」

「なに?」

「怒ってるよね?」

「怒ってないって言ってるでしょ」

「じゃあなんで避けるんだよ」

「避けてない」

「避けてる」

「避けてない!」

美月が声を荒げる。

教室に残っていた生徒たちが、こっちを見た。

「……ごめん」

美月が小さくなる。

「いや、俺こそ」

気まずい空気が流れる。

こんなの、初めてだ。

10年間、ケンカらしいケンカもしたことなかったのに。

「あのさ」

美月が口を開く。

「私、なんか変だよね」

「変?」

「うん。自分でも分かってる。悠真は何も悪くないのに」

美月が困ったような顔をする。

「でも、なんか……モヤモヤして」

「モヤモヤ?」

「悠真が他の女の子と仲良くしてるの見ると、なんか……」

美月の声が小さくなっていく。

これは、もしかして。

もしかしなくても。

「美月、それって」

「あ! やっぱり委員会行かなきゃ!」

美月が慌てて立ち上がる。

「じゃ、じゃあね!」

「お、おい!」

美月は逃げるように教室を出て行ってしまった。

一人残された俺は、さっきの美月の言葉を反芻する。

『悠真が他の女の子と仲良くしてるの見ると、なんか……』

これって、どう考えても。

いや、でも。

美月が俺のことを?

スマホが震える。

美月からのメッセージだった。

『ごめん、今日は本当に変だった』

『明日はいつも通りだから』

『おやすみ』

短いメッセージ。

でも、なんとなく美月の気持ちが伝わってくる気がした。

俺も返信する。

『こっちこそごめん』

『明日、いつも通り迎えに来てよ』

『おやすみ』

既読がつく。

しばらくして、スタンプが一つ送られてきた。

笑顔のうさぎのスタンプ。

美月のお気に入りだ。

なんだか、ホッとした。

でも同時に、確信した。

これは、フラグが立っている。

間違いなく。

美月との関係が、変わり始めている。

ゲームなら、ここでセーブして、攻略サイトを確認するところだ。

でも現実にはセーブポイントもなければ、攻略サイトもない。

自分で考えて、自分で選んで、自分で進むしかない。

フラグ管理の重要性を、これほど実感したことはなかった。

明日、美月にどう接すればいいんだろう。

いつも通り?

それとも——

答えは出ない。

でも、一つだけ分かったことがある。

俺は、美月のことが好きだ。

そして多分、美月も——

その夜、俺は全然眠れなかった。