第2章 断罪される神¶
第2節 原告の主張¶
法廷の中央に立つと、その巨大さに圧倒された。
ドーム状の天井は雲の上まで伸びており、傍聴席は何万人もの人々で埋め尽くされている。しかし、不思議なことに静寂が保たれていた。まるで、この空間自体が神聖な場所であるかのように。
「被告代理人、そちらの席にお座りください」
ラメク裁判官が指し示したのは、被告席の隣に設けられた椅子だった。私はそこに向かいながら、傍聴席の人々を観察した。
彼らは様々な時代の服装をしていた。古代の衣服を着た者、中世の騎士、近代のスーツ、未来的な装身具を身につけた者—この分岐世界では、時代を超えて人類が集結していた。
「では、原告の主張を開始します」
ラメク裁判官が宣言すると、原告席から一人の男性が立ち上がった。彼は現代的なスーツを着ているが、その表情には深い怒りと悲しみが混在していた。
「私の名前はアダム・ライト」男性が名乗った。「私は人類全体を代表して、創造者である神を告発します」
法廷内がざわめいた。
「告発内容を述べてください」ラメク裁判官が促した。
「罪状は三つです」アダムが資料を読み上げた。「第一に、設計上の欠陥による損害。第二に、管理責任の放棄。第三に、偽証および詐欺」
私は驚いた。神を犯罪者として扱うとは。
「具体的に説明してください」
「まず、設計上の欠陥について」アダムが続けた。「被告は人間を創造する際に、明らかな欠陥を組み込みました。暴力性、利己主義、短期的思考—これらは人間が自滅する可能性を高める設計ミスです」
傍聴席から賛同の声が上がった。
「さらに」アダムは資料をめくった。「人間の認識能力は限定的に設計されています。無限の宇宙を理解できず、死の意味を把握できず、自己の目的を見出せない—これは明らかに不完全な設計です」
「それが神への告発理由になるのですか?」
「もちろんです」アダムが力強く答えた。「製造者は製品の欠陥に責任を負うべきです。人間の苦痛の大部分は、設計段階で回避可能だったものです」
私は内心で反論したくなった。人間の不完全性は、成長の余地を残すためではないのか。しかし、私の役割は神の代理人であり、適切な時に発言すべきだった。
「第二の罪状、管理責任の放棄について」アダムが続けた。「被告は人間を創造した後、適切な管理を怠りました。戦争、疫病、災害—これらは適切な介入で防げたはずです」
「神は自由意志を与えたのでは?」ラメク裁判官が質問した。
「それこそが詐欺です」アダムが激昂した。「自由意志という名目で責任を回避したのです。本当に自由なら、人間はより良い選択をしたでしょう。しかし実際には、悪い選択をするように設計されていたのです」
この主張には一理あった。確かに、人間は統計的に悪い選択をする傾向がある。それは昨日、私がΩライブラリで観測したデータでも明らかだった。
「第三の罪状、偽証および詐欺について」アダムの声がより厳しくなった。「被告は人間に『愛』や『正義』や『救済』を約束しました。しかし、それらは実現されていません」
「具体例を示してください」
「歴史を見てください」アダムが手を振ると、法廷の中央に巨大なスクリーンが現れた。そこには人類の歴史の暗部が映し出された。
戦争、虐殺、拷問、奴隷制、貧困、病気—数千年にわたる人間の苦痛が次々と映し出される。
「これが『愛の神』の創造した世界です」アダムが皮肉を込めて言った。「これが『正義の神』の統治する現実です」
傍聴席から怒りの声が上がった。多くの人々が、画面の惨状に憤りを感じているようだった。
「さらに」アダムが続けた。「被告は『祈れば救われる』『信じれば報われる』と約束しました。しかし、最も信仰深い人々こそが、最も苦しんでいるではありませんか」
画面に、迫害される信者たちの映像が映し出された。殉教者たち、宗教戦争の犠牲者たち、不治の病に苦しみながらも祈り続ける人々—
「これは明らかな詐欺です」アダムが結論づけた。「被告は実現不可能な約束で人間を騙し、その結果として無数の苦痛を生み出したのです」
法廷内が静まり返った。アダムの主張は説得力があった。確かに、神の約束と現実の間には大きな乖離がある。
「以上が原告の主張です」アダムが座った。「我々は被告に対し、人類への損害賠償と、設計の改善、そして今後の適切な管理を求めます」
ラメク裁判官が私を見た。
「被告代理人、反論はありますか?」
私は立ち上がった。心臓が激しく鼓動している。どのように神を弁護すればいいのか。
「裁判長」私は始めた。「原告の主張には事実誤認があります」
「どのような?」
「人間の『欠陥』と呼ばれるものは、実は必要な機能です」私は昨日の観測体験を思い出しながら続けた。「暴力性は自己防衛のため、利己主義は生存のため、短期的思考は即座の危険に対応するため—これらは適応的な特徴なのです」
「しかし、それが苦痛を生んでいる」アダムが反論した。
「苦痛もまた、必要な機能です」私は答えた。「苦痛がなければ、人間は危険を学習できません。失敗の経験がなければ、成功の価値もわかりません」
「では、無意味な苦痛はどう説明するのですか?」
「無意味に見える苦痛こそが、最も重要な意味を持つのです」私は自分でも驚くような言葉を口にしていた。「それは選択の機会を提供するからです」
私は続けた。
「人間は苦痛の中でこそ、真の選択を迫られます。他者を助けるか見捨てるか、希望を保つか絶望するか、愛を選ぶか憎しみを選ぶか—その選択こそが、人間の本質を決定するのです」
法廷内がざわめいた。
「それは結果論に過ぎません」アダムが反発した。「もっと良い設計があったはずです」
「より良い設計とは何ですか?」私は問いかけた。「苦痛のない世界ですか?選択のない世界ですか?それは人間ではなく、ロボットです」
この議論を通じて、私は何かを理解し始めていた。神の創造は確かに不完全だ。しかし、その不完全さこそが、人間を人間たらしめているのかもしれない。
完璧な存在には、成長の余地がない。完璧な世界には、選択の意味がない。
「休廷します」ラメク裁判官が宣言した。「午後に審理を再開します」
私は席を立ちながら、アイン=ウルを探した。彼女は傍聴席の隅で、興味深そうに私を見つめていた。
この裁判は、想像以上に複雑だった。そして、まだ始まったばかりだった。