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第2章 断罪される神

第3節 神の不在

休廷中、私は法廷の外で一人になる時間を求めた。

アイン=ウルが案内してくれたのは、法廷に隣接する小さな庭園だった。そこは静寂に包まれ、時間の流れすら止まっているように感じられた。

「どうでしたか?初めての弁護は」アイン=ウルが尋ねた。

「困難です」私は正直に答えた。「原告の主張には説得力があります。神の創造には確かに問題があるように見える」

「しかし、あなたは反論しました」

「直感的に」私は頷いた。「理屈ではなく、感覚として神を弁護したくなったのです」

アイン=ウルは微笑んだ。「それが観測者の能力です。論理を超えた理解」

私は庭園の中央にある噴水を見つめた。水は重力に逆らって上昇し、空中で複雑な模様を描いてから元の場所に戻る。物理法則さえも、この場所では異なるようだった。

「アイン=ウル」私は尋ねた。「なぜ神は直接出廷されないのですか?」

「それは複雑な問題です」彼女が答えた。「法的には、神の存在証明が困難だからです。物理的実体がなく、直接的な証言が不可能とされています」

「しかし、実際には存在するのでしょう?」

「存在します」彼女は断言した。「しかし、その存在の仕方が問題なのです」

彼女は噴水の水を指差した。

「水は見えますが、重力は見えません。しかし、重力がなければ水は落下しない。神もそれと似ています—直接は見えないが、その影響は至る所に現れている」

「では、なぜ証言されないのですか?」

「証言すれば、人間の自由意志に影響を与えるからです」アイン=ウルの表情が深刻になった。「神が直接現れて『私は無罪だ』と主張すれば、それは人間の判断を歪めることになります」

私は理解し始めた。神は自らの無実を証明できるが、それをすれば人間の自律性を侵害することになる。これは究極のジレンマだった。

「しかし、それでは不公平ではありませんか?」

「公平とは何でしょうか?」アイン=ウルが問い返した。「神にとって公平な裁判とは、人間にとって公平な裁判とは—」

私たちの会話は、鐘の音によって中断された。午後の審理が始まる時間だった。

法廷に戻ると、雰囲気が変わっていた。傍聴席の人々の表情がより深刻になり、空気そのものが重くなっている。

「審理を再開します」ラメク裁判官が宣言した。「午前中の議論を踏まえ、より根本的な問題について検討します」

「被告代理人」裁判官が私を見た。「あなたは神の創造を『必要な機能』として弁護されました。しかし、一つ質問があります」

「はい」

「なぜ神は、より良い設計を選ばなかったのでしょうか?全知全能であれば、苦痛のない成長も可能だったはずです」

これは核心的な質問だった。私は答えに窮した。

「それは—」

「答えられませんね」アダムが立ち上がった。「なぜなら、合理的な説明が存在しないからです」

アダムは法廷の中央に進み出た。

「皆さん、考えてみてください」彼が傍聴席に向かって呼びかけた。「全知全能の存在が、なぜ不完全な創造を選んだのか?」

法廷内が静まり返った。

「答えは三つのうちの一つです」アダムが指を立てた。「一つ目:神は全知全能ではない。二つ目:神は善良ではない。三つ目:神は存在しない」

この三択は、古典的な神義論の問題だった。悪の存在と全知全能の神の両立可能性について、何世紀にもわたって議論されてきた問題。

「どの答えを選んでも」アダムが続けた。「現在信じられている『愛の神』『正義の神』『全能の神』という概念は破綻します」

私は反論しようとしたが、言葉が出てこなかった。この論理にどう対抗すればいいのか。

「被告代理人、反論はありませんか?」ラメク裁判官が促した。

私は立ち上がったが、頭の中が真っ白だった。理論的には反論の余地があるはずだが、具体的な言葉が見つからない。

その時、法廷内に奇妙な現象が起きた。

空気が振動し始めたのだ。音ではなく、存在そのものが振動している。まるで、巨大な存在が法廷に接近しているかのように。

「これは—」誰かが呟いた。

突然、被告席の上空に光の球体が現れた。それは眩しいが、直視しても目が痛くならない不思議な光だった。

そして、声が響いた。

「私は、ここにいる」

法廷内の全員が息を呑んだ。神が、ついに姿を現したのだ。

「被告として出廷します」光の球体から声が続いた。「しかし、条件があります」

「条件とは?」ラメク裁判官が尋ねた。

「私の証言は、最後まで聞いてください。途中で判断を下さないでください。全てを聞いた後で、判決を決めてください」

「承諾します」裁判官が答えた。

光の球体がゆっくりと下降し、被告席の上で止まった。

「私は確かに全知全能です」神の声が響いた。「そして、私は確かに愛と正義の存在です。しかし、あなたたちは重要なことを理解していません」

「何を理解していないのですか?」アダムが挑戦的に尋ねた。

「自由意志の真の意味を」神が答えた。「自由意志とは、単に選択できることではありません。意味のある選択ができることです」

法廷内がざわめいた。

「説明してください」ラメク裁判官が求めた。

「もし私が完璧な世界を創ったなら」神が続けた。「人間の選択に意味はありません。善しか選択肢がなければ、善を選ぶことに価値はないのです」

「しかし、苦痛は不要では?」アダムが反論した。

「苦痛がなければ、慈悲の価値がわかりません。困難がなければ、助け合いの意味がありません。死がなければ、生の尊さがわからないのです」

私は、神の論理を理解し始めていた。不完全性は欠陥ではなく、意味のある選択を可能にする必要条件だったのだ。

しかし、これは本当に正当化できるのだろうか?

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