第3章 自由意志の彼岸¶
第1節 千の私¶
法廷を後にした私は、再びΩライブラリへと戻ってきた。アイン=ウルの言葉が頭の中で響いている。「あなたは神と人間の橋渡し役だから」—その責任の重さに、私の心は押しつぶされそうだった。
「明日の判決を前に、もう一度観測を行う必要があります」アイン=ウルが私に告げた。「今度は、より深い観測を」
私は書架の前に立った。無数の本が私を見つめている。それぞれが私の異なる人生を記録している。
「今度は、一つの人生をじっくり追うのではなく、複数の人生を同時に観測してください」アイン=ウルが説明した。「あなたという存在の全体像を把握するのです」
私は深呼吸をして、最初の本を手に取った。
戦士としての私
私は中世ヨーロッパの戦場にいた。重い甲冑を身に纏い、剣を握っている。周囲には仲間の兵士たちがいて、敵軍が迫ってくる。
この世界の私は、信仰を軍事的な献身に昇華させていた。神のために戦う十字軍騎士として生きていた。
「主よ、正義のために」私は剣を振り上げた。
しかし、戦いの中で私は気づく。敵も同じように祈っている。同じ神に向かって、勝利を祈っている。
「神よ、私たちのどちらが正しいのですか?」
答えは返ってこない。私は剣を振り続けるしかない。血と泥にまみれながら。
この人生の私は、47歳で戦死した。最期の瞬間、私は神の沈黙を呪った。
母親としての私
次の本を開くと、私は三人の子供を持つ母親だった。夫は商人で、私たちは中産階級の平穏な生活を送っている。
この世界の私は、宗教を子育ての支えとして使っていた。毎晩、子供たちと一緒に祈りを捧げる。
「神様、この子たちをお守りください」
しかし、長女が病気になった時、私の信仰は揺らいだ。必死に祈ったが、医者は手の施しようがないと言った。
「神様、なぜこの子が苦しまなければならないのですか?」
長女は12歳で亡くなった。その夜、私は祭壇の前で泣き崩れた。
「私の信仰が足りなかったのでしょうか?」
残された二人の子供のために、私は生き続けた。しかし、神への疑問は消えることがなかった。
この人生の私は、74歳で自然死した。最期まで、失った娘のことを考えていた。
犯罪者としての私
三冊目の本は、私が犯罪者として生きる世界を描いていた。貧しい家庭に生まれ、生きるために盗みを覚えた。
この世界の私は、神を憎んでいた。
「神がいるなら、なぜ私を貧困に生まれさせたのか?」
私は銀行強盗を企てた。人を殺すつもりはなかったが、警備員が抵抗した。引き金を引いてしまった。
監獄で私は聖書を読んだ。しかし、そこに書かれている愛と赦しの言葉が、自分の現実とかけ離れていることに絶望した。
「神の愛はどこにあるのか?」
私は獄中で39歳で病死した。最期まで、神への怒りを抱いていた。
聖職者としての私
四冊目の本は、私が聖職者として生涯を捧げた世界だった。神学校を卒業し、小さな教会の牧師になった。
この世界の私は、信仰に生きることを選んだ。しかし、現実の信者たちの苦悩に直面して、言葉に詰まることが多かった。
「神父様、なぜ神は私の夫を戦争で奪ったのですか?」
信者の女性が涙を流しながら尋ねる。私は答えに窮した。
「神のご計画は、私たち人間には理解できません」
しかし、その答えが空虚に感じられた。私自身、神のご計画とやらに疑問を持っていたからだ。
この人生の私は、66歳で心臓発作で亡くなった。最期の瞬間、「ついに神に会える」と思った。しかし、死後の世界で神に会うことはなかった。ただ、無が待っていただけだった。
科学者としての私
五冊目の本は、私が物理学者として生きた世界を描いていた。量子力学を研究し、多世界解釈に魅了された。
この世界の私は、科学によって神の存在を証明しようとしていた。
「神は量子的な存在なのかもしれない」私は論文に書いた。「全ての可能性を同時に観測している存在として」
しかし、研究を進めるうちに、神の存在よりも、現実の複雑さに圧倒された。
「もしかしたら、神などいないのかもしれない」
この結論に至った時、私は深い虚無感に襲われた。人生の意味を失った気がした。
この人生の私は、58歳で自殺した。研究の重圧と、神への絶望によって。
私は本を閉じた。五つの人生を観測した後、私は深い疲労感に襲われた。
どの人生の私も、神との関係で苦悩していた。信じようとした私、憎んだ私、証明しようとした私、奉仕した私—皆、最期には神への疑問を抱いていた。
「これが私の本質なのでしょうか?」私はアイン=ウルに尋ねた。
「本質の一部です」彼女が答えた。「しかし、まだ全てではありません。もっと多くの可能性があります」
私は書架を見上げた。まだ無数の本が残っている。
「私は一体、何者なのでしょうか?」
「それを知るために、観測を続けてください」アイン=ウルが言った。「千の可能性を見た時、あなたは自分の真の姿を理解するでしょう」
私は次の本に手を伸ばした。この探求は、まだ始まったばかりだった。
しかし、一つのことは確実だった。どの人生の私も、神との関係において完全に満足することはなかった。これは単なる偶然なのだろうか、それとも何かより深い意味があるのだろうか。
その答えを求めて、私は観測を続けることにした。