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第3章 自由意志の彼岸

第2節 収束する運命

私は次の七百の人生を観測した。芸術家、政治家、医師、教師、農民、技術者、探検家—あらゆる職業、あらゆる時代、あらゆる文化圏での私を見た。

しかし、観測を進めるうちに、私は奇妙なパターンに気づき始めた。

「アイン=ウル」私は彼女を呼んだ。「これらの人生には、共通点があります」

「気づきましたね」彼女が微笑んだ。「どのような共通点ですか?」

私は手に持っていた観測記録を見返した。

「どの人生でも、私は37歳の時に重大な選択を迫られています」私が説明した。「戦士の私は37歳で十字軍を離脱するか決断し、母親の私は37歳で再婚を考え、犯罪者の私は37歳で最後の大仕事を企て、聖職者の私は37歳で教会を去ることを検討しました」

「そして、その選択の結果は?」

「バラバラです」私が答えた。「ある人生では残り、ある人生では去りました。しかし、選択を迫られる時期は、ほぼ同じです」

アイン=ウルが頷いた。

「それだけではありません」私が続けた。「どの人生でも、私は23歳で重要な人と出会い、45歳で深い喪失を経験し、58歳で人生の意味について根本的に考え直しています」

私は観測記録を広げた。そこには、千の人生の年表が描かれていた。

「これは偶然ではありませんね?」

「偶然ではありません」アイン=ウルが確認した。「これを『運命の収束点』と呼びます」

私は震えた。「つまり、私の人生は予め決められているということですか?」

「決められているというより、『制約がある』と言った方が正確でしょう」

アイン=ウルは書架の一角に私を案内した。そこには、巨大なコンピューターのような装置があった。

「これは分析装置です」彼女が説明した。「あなたの全ての可能性を数理的に解析することができます」

装置の画面に、複雑なグラフが表示された。波のような線が無数に重なり合い、特定の点で収束している。

「この収束点が『運命の収束』です」アイン=ウルが指さした。「どの人生を選んでも、これらの点は避けられません」

私は画面を凝視した。「なぜこのような制約があるのですか?」

「それが、あなたという存在の本質だからです」アイン=ウルが答えた。「魂の設計図と言ってもいいでしょう」

「設計図?」私は愕然とした。「つまり、神が私をこのように設計したということですか?」

「そうです」

私は装置の前で立ち尽くした。自分の全ての選択が、実は制約の中での選択に過ぎなかったのか。

「では、自由意志とは何なのですか?」私が尋ねた。

「良い質問です」アイン=ウルが答えた。「制約の中での選択にも、意味があります。同じ収束点でも、そこに至る道筋は無数にあります」

画面上で、収束点に向かう線の束が表示された。確かに、同じ点に向かっていても、経路は千差万別だった。

「37歳での重大な選択も、人によって内容が違います」アイン=ウルが続けた。「戦争から離脱するか、再婚するか、犯罪から足を洗うか—選択の内容は異なります」

「しかし、選択を迫られること自体は避けられない」

「その通りです」

私は深いため息をついた。「それでも自由意志と呼べるのでしょうか?」

アイン=ウルは私の肩に手を置いた。

「ユーリ、あなたは今、重要な洞察に近づいています」彼女が言った。「明日の判決のために、この洞察を深める必要があります」

私は装置の画面を見続けた。そこには、私の千の人生が数式として表現されていた。美しい数学的パターンが、私という存在を定義していた。

「神は、私たちを数式として創造したのですか?」

「数式も含みますが、それだけではありません」アイン=ウルが答えた。「数式は構造を表しますが、その構造の中で生きる経験、感じる感情、下す判断—これらは数式では表現できません」

私は理解し始めた。運命の収束点は確かに存在する。しかし、その点に至るまでの経験、そして収束点での選択の質—これらには無限の可能性がある。

「つまり、自由意志は完全ではないが、完全に無いわけでもない」

「そうです」アイン=ウルが頷いた。「制約された自由。これが、神が人間に与えた自由意志の本質です」

私は新たな疑問を抱いた。「なぜ神は、完全な自由を与えなかったのですか?」

「それは、明日の判決に関わる重要な問題です」アイン=ウルが答えた。「続きの観測を行いましょう。今度は、収束点での選択そのものに注目してください」

私は次の本を手に取った。今度は、運命の収束点で私がどのような選択をするか、その瞬間に焦点を絞って観測することにした。

制約された自由の中で、私は何を選んでいるのか。そして、その選択に真の意味はあるのか。

これらの問いの答えが、明日の判決の鍵となるような気がした。

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