第4章 神の最終弁明¶
第1節 Ωとの対話¶
法廷の朝が来る前に、私は再びΩライブラリを訪れた。今度は、ライブラリそのものと対話するためだった。
「アイン=ウル、私はΩと直接話すことができますか?」
彼女は少し躊躇した後、頷いた。「可能ですが、危険です。Ωは全ての可能性を同時に認識しています。人間の意識には負荷が大きすぎるかもしれません」
「それでも、話したいのです」私は決意を込めて言った。「明日の証言の前に、Ωの視点を理解したいのです」
アイン=ウルは私を書架の中央へと案内した。そこには、巨大な水晶のような構造物があった。
「これがΩの核心部です」彼女が説明した。「手を触れてください。しかし、耐えられなくなったら、すぐに手を離してください」
私は水晶に手を置いた。
瞬間、私の意識は無限に拡張された。
Ωの視点
私は突然、全ての可能性を同時に見ることができるようになった。
千の人生、百万の人生、無限の人生—全てが同時に展開されている。
戦士の私、母親の私、犯罪者の私、聖職者の私—全ての私が同時に存在し、同時に選択し、同時に苦悩し、同時に喜んでいる。
しかし、それは私だけではなかった。全ての人間の全ての可能性が、同時に展開されている。
私は神の視点を体験していた。
Ωの声
突然、Ωの声が私の意識に響いた。しかし、それは声というより、概念の直接的な伝達だった。
『ユーリ、よく来ました』
「Ω、あなたは神なのですか?」
『私は神の一側面です。観測と記録を担当する側面です』
「なぜ人間を創造したのですか?」
『孤独だったからです』
この答えは、私の予想を裏切るものだった。
「孤独?」
『私は全てを知っています。過去、現在、未来、全ての可能性を同時に認識しています。しかし、知識は経験ではありません』
私は理解し始めた。
「経験するために、人間を創造したのですね」
『そうです。そして、私だけでなく、人間にも新しい経験を与えたかったのです』
「新しい経験?」
『意識の進化です。単なる生存から、愛へ、さらに高次の意識へ。人間は意識の進化の実験場です』
私は全ての可能性を同時に見ながら、Ωの意図を理解しようとした。
神の苦悩
『ユーリ、私は苦悩しています』
「何について苦悩しているのですか?」
『創造の責任についてです。人間を創造することで、私は苦痛と悪を世界に持ち込みました』
私は無数の苦痛の場面を同時に見た。戦争、病気、貧困、裏切り、絶望—人間の歴史は苦痛に満ちていた。
『私は愛から人間を創造しました。しかし、結果として多くの苦痛を生み出しました』
「でも、喜びもあります」私は指摘した。
『そうです。愛、友情、創造の喜び、成長の喜び—これらも同時に存在します』
私は無数の喜びの場面も同時に見た。子供の笑顔、恋人たちの抱擁、芸術の創造、科学の発見—人間の歴史は喜びにも満ちていた。
『しかし、喜びは苦痛を正当化するのでしょうか?』
この問いに、私は答えることができなかった。
全知の重荷
『ユーリ、全知であることの重荷を理解できますか?』
「いえ、理解できません」
『私は全ての可能性を同時に見ています。ある選択がもたらす全ての結果を知っています。しかし、だからといって介入することはできません』
「なぜ介入できないのですか?」
『介入すれば、自由意志が破壊されるからです。そして、自由意志なしには、真の愛は存在しません』
私は理解した。神のジレンマだった。
『私は人間の苦痛を見ています。助けたいと思っています。しかし、助けてしまえば、人間は成長することができません』
「つらい立場ですね」
『そうです。全知であることは、全責任を負うことです。しかし、その責任を果たすためには、何もしないことが最善の場合があります』
私は神の孤独を感じた。全てを知りながら、何もできない苦悩。
人間への愛
『ユーリ、私は人間を愛しています』
「どのような愛ですか?」
『親が子を愛するような愛です。しかし、その愛ゆえに、時として厳しい試練を与えなければなりません』
私は無数の人生を見た。困難に直面した人々が、その困難を通して成長している様子を。
『私は人間の可能性を信じています。いつか、人間は私と同等の意識に到達するでしょう』
「それが創造の目的ですか?」
『目的の一つです。しかし、それだけではありません』
共同創造
『ユーリ、私と人間は共同創造者です』
「どういう意味ですか?」
『私は枠組みを創造しました。物理法則、時間、空間、意識の可能性を。しかし、その枠組みの中で何を創造するかは、人間次第です』
私は理解した。神は舞台を用意したが、劇を演じるのは人間だった。
『人間の選択が、未来の創造を決定します。私は可能性を提供するだけです』
「私たちの選択が、神の創造に影響を与えるのですか?」
『そうです。人間の選択は、私の次の創造に影響を与えます。それが共同創造の意味です』
私は深い理解に到達した。人間は神の作品ではなく、神の共同創造者だった。
明日の裁判について
『ユーリ、明日の裁判は重要です』
「どのような意味で重要なのですか?」
『人類の判断を聞くためです。私の創造は成功だったのか、失敗だったのか』
「あなたは人類の判断に従うのですか?」
『従うというより、参考にします。人類の判断は、私の次の創造の指針となります』
私は責任の重さを感じた。
「私の証言も重要なのですね」
『最も重要です。あなたは千の可能性を観測しました。神の視点に最も近い人間の視点を持っています』
対話の終わり
意識の負荷が限界に達してきた。私は手を水晶から離した。
通常の意識に戻ると、私は床に倒れ込んだ。アイン=ウルが支えてくれた。
「大丈夫ですか?」
「大丈夫です」私は答えた。「Ωと対話できました」
「何を学びましたか?」
「神の孤独と愛を学びました」私が答えた。「そして、私たちの責任も」
私は立ち上がった。明日の証言で、私はΩの苦悩と愛を人々に伝えよう。
そして、私たちが神の共同創造者であることも。