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最終章 選ぶもの/選ばれるもの

第2節 罪の自覚

現実世界に戻った私は、汎地球量子機構での日常業務に復帰した。しかし、Ωライブラリでの体験は私を変えていた。

同僚たちは私の変化に気づいていた。

「ユーリ、何かあったのか?」上司のトーマスが尋ねた。「表情が以前と違う」

「少し、人生について考えることがありまして」私が答えた。

しかし、私は彼らに全てを話すことはできなかった。神の裁判のことは、一般には秘密とされていたからだ。

日常の中の発見

日常業務を行いながら、私は新しい視点で世界を見ていた。

同僚のマリアが些細なミスで落ち込んでいる時、私は以前なら「気にするな」と言っただろう。しかし今は違った。

「マリア、そのミスから何を学べると思う?」私が尋ねた。

「学ぶって?」彼女が困惑した。

「ミスも選択の一つだよ」私が説明した。「完璧な選択をするために、不完璧な選択が必要な場合がある」

マリアは首をかしげた。「よく分からないけど、少し気持ちが楽になったかも」

私は微笑んだ。千の可能性を見た経験が、日常の小さな出来事にも新しい意味を与えていた。

罪への新しい理解

しかし、同時に私は新しい重荷も感じていた。それは、自分の選択の重みについての理解だった。

昼休み、私は一人で考えていた。

千の人生を観測して、私は自分のあらゆる可能性を見た。善行もあれば、悪行もあった。愛もあれば、憎しみもあった。

「私の中には、あらゆる可能性が存在している」私は自分に言い聞かせた。

その時、重要な洞察が浮かんだ。

罪の普遍性

私が犯罪者として生きた人生を思い出した。その人生では、私は人を殺していた。

現在の私は殺人を犯していない。しかし、犯罪者としての私も確実に私の一部だった。

「つまり、私は殺人者でもあり、非殺人者でもある」

この理解は恐ろしかった。しかし、同時に解放的でもあった。

私だけでなく、全ての人間が同じ状況にある。誰もが、あらゆる可能性を内包している。聖人も罪人も、その人の一側面に過ぎない。

共通の罪

その日の夕方、私は近所の教会を訪れた。神父との対話を求めて。

「神父様」私が尋ねた。「人間の罪について、どうお考えですか?」

「罪は人間の弱さから生まれます」神父が答えた。「しかし、悔い改めれば赦されます」

「でも、神父様」私が続けた。「私たちは皆、同じ罪を犯す可能性を持っているのではないでしょうか?」

神父は考え込んだ。「どういう意味ですか?」

「例えば、私は殺人を犯していません。しかし、異なる状況に置かれれば、殺人を犯していたかもしれません」私が説明した。「だとすれば、殺人を犯した人と私の違いは、単に置かれた状況の違いだけかもしれません」

神父の表情が変わった。「興味深い考えですね」

罪と恵みの再理解

「つまり」私が続けた。「罪を犯した人を裁くことは、自分自身を裁くことと同じかもしれません。そして、恵みを受けることは、他者にも恵みを与えることと同じかもしれません」

神父は深く頷いた。「『罪なき者、石を投げよ』という言葉を思い出します」

「そうです」私が答えた。「私たちは皆、同じ罪の可能性を持っています。だからこそ、互いを赦し合う必要があります」

この対話を通して、私は新しい倫理観を形成していた。

社会への適用

翌日、職場で興味深い出来事があった。

同僚の一人が、軽微な横領で告発されていた。オフィス内は彼を非難する雰囲気に包まれていた。

「信じられない」誰かが言った。「あんなに真面目そうだったのに」

「人は見かけによらないものね」別の人が続けた。

私は彼らの非難を聞きながら、自分の犯罪者としての人生を思い出していた。

「皆さん」私が口を開いた。「私たちは彼を非難する資格があるでしょうか?」

「何を言っているんだ、ユーリ」トーマスが言った。「彼は法を犯したんだ」

「確かに彼は法を犯しました」私が答えた。「しかし、私たちも同じ状況に置かれれば、同じことをしていたかもしれません」

「それは推測に過ぎない」マリアが反論した。

「推測です」私が認めた。「しかし、可能性でもあります。私たちは皆、完璧ではありません」

新しい正義観

「だから彼の行為を許せと?」トーマスが尋ねた。

「許すべきだとは言いません」私が答えた。「しかし、裁くのではなく、助けるべきだと思います」

「助ける?」

「彼がなぜそのような選択をしたのか理解し、同じ選択をしないように支援する」私が説明した。「罰よりも回復を重視する正義です」

同僚たちは戸惑っていた。しかし、何人かは考え込んでいるようだった。

個人的な罪の受容

その夜、私は一人で自分の罪について考えた。

千の人生で、私は様々な罪を犯していた。殺人、窃盗、裏切り、嘘、傲慢、怠惰—あらゆる罪の可能性を見た。

現在の私はそれらの罪を犯していない。しかし、犯す可能性を持っている。その可能性を認めることが、真の自己理解だと思った。

「私は完璧ではない」私は自分に言った。「しかし、だからこそ人間なのだ」

この受容は、罪悪感をもたらすのではなく、むしろ解放感をもたらした。完璧でなくても良い。不完全さを受け入れることで、真の成長が始まる。

神への新しい理解

「神も同じなのかもしれない」私はふと思った。

神も完璧ではない。間違いを犯し、苦悩し、成長している。だからこそ、人間の不完全さを理解し、赦すことができる。

神の裁判は、神の完璧性の確認ではなく、神の不完全性の受容だった。そして、その受容こそが、真の愛の基盤なのかもしれない。

共感の拡大

この理解により、私の共感能力は大幅に拡大した。

犯罪者を見れば、自分の犯罪者としての可能性を思い出した。 聖人を見れば、自分の聖人としての可能性を思い出した。 苦悩する人を見れば、自分の苦悩する可能性を思い出した。

全ての人が、私の一部であり、私も全ての人の一部だった。この理解は、深い慈悲心を育てた。

新しい使命感

そして、私は新しい使命感を覚えた。

私は千の可能性を観測した。この経験を通して得た理解を、他の人々と共有する責任がある。

完璧さを求めるのではなく、不完全さを受け入れる。 他者を裁くのではなく、理解し支援する。 罪を隠すのではなく、認めて成長する。

これらの原則を、私は日常生活で実践していこうと決意した。

それが、神と人類の新しい関係を築く第一歩なのだから。

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