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最終章 選ぶもの/選ばれるもの

第3節 新たな分岐

段階的自由拡大契約から三ヶ月が経った頃、私は再びアイン=ウルからの連絡を受けた。

「ユーリ、緊急事態です」彼女の声には緊張が含まれていた。「Ωライブラリに来てください」

私は急いでライブラリに向かった。到着すると、アイン=ウルが深刻な表情で待っていた。

「何が起きたのですか?」

「契約の実施に問題が発生しました」彼女が答えた。「見てください」

彼女は分析装置を起動した。画面に表示されたのは、世界の選択パターンの変化を示すグラフだった。

予期せぬ変化

「契約締結後、確かに偏りは段階的に減少しています」アイン=ウルが説明した。「しかし、予想と異なる現象が起きています」

グラフを見ると、確かに偏りは減少していた。しかし、同時に奇妙なパターンも現れていた。

「これは何ですか?」私が画面の一部を指さした。

「新しい種類の選択です」アイン=ウルが答えた。「従来の善悪の枠組みに当てはまらない選択が増えています」

「具体的には?」

「見てみましょう」

新しい選択の例

アイン=ウルは具体例を表示した。

例1:ある科学者が、病気を治す薬を開発した。しかし、その薬は非常に高価で、貧しい人々は購入できない。彼は薬の特許を放棄し、誰でも製造できるようにした。これにより、多くの命が救われたが、製薬会社は大きな損失を被った。

「これは善でしょうか、悪でしょうか?」アイン=ウルが尋ねた。

「複雑ですね」私が答えた。「多くの命を救うという点では善ですが、企業の権利を侵害するという点では問題があります」

例2:ある政治家が、環境保護のために厳しい規制を導入した。これにより自然は守られたが、多くの労働者が職を失った。

例3:ある教師が、能力の低い生徒に特別な配慮をした。その生徒は成長したが、他の生徒への指導時間が減少した。

「全て、従来の善悪の基準では判断が困難な選択です」アイン=ウルが説明した。

神の困惑

その時、神の声が響いた。

「ユーリ、人間の選択が私の理解を超え始めています」

「どういう意味ですか?」

「私は善と悪という枠組みで世界を設計しました」神が説明した。「しかし、人間はその枠組みを超えた選択をし始めています」

私は理解した。人類が成長し、より複雑な倫理的判断を行うようになったのだ。

「それは問題なのですか?」

「問題ではありませんが、予想外です」神が答えた。「私はこのような発展を予測していませんでした」

新たな倫理の出現

アイン=ウルが別のデータを表示した。

「過去三ヶ月で、従来の倫理体系では分類できない選択が47%増加しています」

「具体的にはどのような変化ですか?」

「文脈依存的倫理、相対主義的判断、創造的解決策—これらが急激に増加しています」

私は興味深く思った。「つまり、人間はより柔軟で創造的な倫理観を発達させているということですね」

「そうです」アイン=ウルが頷いた。「しかし、これは神の既存の枠組みを超えています」

神の学習

「私は新しいことを学んでいます」神が告白した。「人間の成長は、私の想像を超えています」

「どのように学んでいるのですか?」

「人間の新しい選択を観察し、その結果を分析しています」神が答えた。「そして、自分の倫理観を更新しています」

私は驚いた。「神も倫理観を更新するのですか?」

「そうです」神が答えた。「完璧な倫理は存在しません。状況に応じて、より良い判断を求めて更新し続ける必要があります」

人類の影響

「つまり」私が整理した。「人類の新しい選択が、神の成長を促進しているということですね」

「その通りです」神が確認した。「これは予期していなかった副次効果です」

「副次効果?」

「契約の目的は人類の成長でした」神が説明した。「しかし、結果として私の成長も促進されています」

私は深い感動を覚えた。神と人類が、真の意味で共に成長している。

新しい挑戦

「しかし、問題もあります」アイン=ウルが指摘した。「新しい選択パターンが、既存の社会システムと衝突を起こしています」

画面に世界各地のニュースが表示された。

  • 企業の利益より人命を優先する決定が増加し、経済システムが混乱
  • 個人の権利より集団の福祉を重視する選択が増加し、法的問題が発生
  • 既存の宗教的教義を超えた精神的選択が増加し、宗教界が困惑

「社会制度が、人間の新しい倫理観についていけないのです」アイン=ウルが説明した。

私の提案

私は状況を整理し、提案を行った。

「神よ、そして人類の皆さん」私が呼びかけた。「この状況は、契約の次の段階への移行を示しているのではないでしょうか」

「どういう意味ですか?」神が尋ねた。

「最初の契約は『段階的自由拡大』でした」私が説明した。「しかし、今必要なのは『適応的システム更新』かもしれません」

「具体的には?」

「社会制度、法律、倫理規範—これらも人間の成長に合わせて更新していく必要があります」私が続けた。「固定的なシステムではなく、成長に適応するシステムが必要です」

適応的システムの概念

「例えば」私が具体例を示した。「法律は絶対的なルールではなく、状況と文脈に応じて適用される指針として機能する」

「それでは混乱が生じませんか?」アイン=ウルが心配した。

「確かに最初は混乱するでしょう」私が認めた。「しかし、それは成長の過程で必要な混乱です」

「人間は、混乱の中から新しい秩序を創造する能力を持っています」私が続けた。「それが、人間の最も素晴らしい特徴の一つです」

神の決断

神は長い沈黙の後、答えた。

「ユーリの提案を受け入れます」神が宣言した。「適応的システム更新契約を締結しましょう」

「それは新しい実験になりますね」アイン=ウルが言った。

「そうです」神が答えた。「しかし、実験こそが成長の源です」

新契約の内容

新しい契約の骨子が決定された:

  1. 社会制度は固定的ではなく、適応的に運用される
  2. 倫理規範は絶対的ではなく、文脈依存的に適用される
  3. 法律は硬直的ではなく、柔軟に解釈される
  4. 全ての変更は、民主的プロセスを通じて決定される
  5. 神は指導者ではなく、協力者として関与する

実施の開始

「この契約の実施により、世界は大きく変化するでしょう」神が警告した。「混乱も生じるかもしれません」

「混乱は成長の証です」私が答えた。「私たちは、その混乱を乗り越えて、より良い世界を創造できると信じています」

新たな分岐点に立って、私は希望を感じていた。

人類は新しい段階に進もうとしている。そして、神も共に歩もうとしている。

未来は不確実だが、それが人生の美しさなのだ。

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