エピローグ¶
それから三年が経った。
私は地上の世界に戻り、再び汎地球量子機構で研究を続けている。表面上は、以前と何も変わらない日常だ。量子もつれの解析、多世界理論の検証、同僚たちとの議論。
しかし、すべてが変わった。
私の机の上には、小さな水晶の置物がある。一見するとただの装飾品だが、これはΩライブラリからの「贈り物」だ。時折、その中に微かな光の変化が見える。それは、他の分岐世界からの「信号」だった。
観測者としての私の役割は終わっていない。終わることはない。
「セリグ博士、少しお時間いただけますか?」
振り返ると、新しい研究員の若い女性が立っていた。彼女の目には、かつての私と同じ疑問の光がある。
「実は、昨夜奇妙な夢を見たんです」彼女は続けた。「巨大な図書館で、無数の本が生きているような夢を。そして、誰かが私の名前を呼んでいました」
私は微笑んだ。
「その夢について、詳しく聞かせてください。お茶でも飲みながら」
時間は円環する。新しい観測者が選ばれ、新しい物語が始まる。
Ωライブラリは今日も、全ての可能性を記録し続けている。
神は今日も、全ての苦しみを背負い続けている。
そして私たちは今日も、選択し続けている。
完璧ではない選択を。
罪深い選択を。
しかし、それでも自分の選択を。
窓の外で、夕日が地下都市の採光口を照らしている。深い地底から立ち上る光が、まるで希望のように見えた。
私は水晶を手に取り、その中の光を見つめた。
無数の世界で、無数の私が同じ夕日を見ている。
そして、すべての私が思っている。
「これでよかったのだ」と。
意志は、神を裁くためにあるのではない。
意志は、自らを選び直すためにあるのだ。
永遠に。
《Ω分岐の書庫》完
観測を続ける者へ—あなたもまた、選択している。 この物語を読むことを。 この問いと向き合うことを。
それこそが、最も人間らしい行為なのかもしれない。